川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

僕のアーカイブ1

盆休みで創作は休みます。休みの日は、僕の別の「唄とお面のブログ」から、川柳と習字の分を載せたいと思います。

初めは川柳のみで、習字は7月16日からです。

6月29日

エクササイズ・海・英語・習字・読書・ジョグの毎日ですが、同じように書いても面白くないので、今日から端遊と名のり川柳を書くことにしました。入門書を読んで「膝痛い尺蠖と僕勇み足」「目に白き膝に沁み入るサロンパス」と作り、「女たちの20世紀より」

「雹の中君は楫切る見てる僕 矢島楫子に感じて 端遊」

と作りました。尺蠖(尺取虫)と雹は6月、膝は雑の季語です。川柳だけど季語があった方が作りやすいのかなと思います。一日一句恥ずかしながら書いていこうと思います。やがて、習字に使いたいです!

6月30日

隣町のランは、久しぶりに二人で楽しく走り・話してきました。エクササイズ・英語や習字などはいつものとおりです。今日の川柳は「女たちの20世紀」より女性参政権を最初に唱えた楠瀬喜多。女性を見下す輩は断じて許さず河原で勝負したと伝えられ、84歳で亡くなるまで「民権ばあさん」として親しまれました。

「ばあさんは決闘辞さず僕はサル 楠瀬喜多に感じて 端遊」 

僕はサルは、去る・見ざる・言わざる・聞かざる、ですが「助太刀だ!」くらいになりたいものです。

7月1日

朝、今日は特に風が強く海はドキドキで、3往復して帰ってきました。今日の川柳は「女たちの20世紀」より萩野吟子。日本初の女医で、家族親族の反対や日本の教育方針に阻まれながらも33歳で合格、産科医院を開業します。さらに医学だけでは女性は救えないと40歳で北海道の開拓村の医者となります。
「女医への志鬼灯市に肩並べ 萩野吟子に感じて 端遊 」
鬼灯市は7月の季語。この日に参詣すると四万六千日間参詣したと同じ功徳を得られるとのことで、僕もちゃっかり彼女と一緒に願い事をしたつもりです。もちろん女医になって欲しいと・・・です。

7月2日

朝隣町で、久しぶりに三人で楽しく走りおしゃべりをして来ました。嫁さんは幼稚園や小学1・2にも習字を教えることになりました。さて、今日の川柳は「女たちの20世紀」より最初の女性の画学生になった山下りん。絵を描きたい一心で家出し貧窮の中、日本画・洋画を学びロシアに留学。遠近法に乏しく一定様式のイコン画に失望するが、帰国後数年してニコライ堂に戻りイコン画を描き続けた。信仰や聖画を語ることはなく、酒をたしなみ、徳利をぶら下げて教会の庭を歩く姿は堂々としていた。
「西日射す遠近殺し今日も飲む 端遊 山下りんに感じ」
西日が7月の季語です。表現が制限される程に夢中になったのかな・・・今日も飲むに自分を重ねました。

7月3日

朝、明け方まで雨が降り体調イマイチだったので泳ぎに行かずゆっくりしました。今日の川柳は「女たちの20世紀」より、最初のフェミニスト岸田俊子。18歳で平民として初めて宮中に入り、皇太后孟子などを講義するが、2年で辞職し母と旅に出て、自由民権運動を知り活動に加わる。黒い着物に真っ赤な帯、黄八丈など派手な装いで女性平等を朗々と演説して回る。時には同志の性差別意識を糾弾した。
「我が性(サガ)を求め謳うかサングラス 端遊 岸田俊子に感じて」
サングラスが7月の季語です。島の日差しは強いので僕はほぼ毎日かけます。当時サングラスをかけて登壇し演説したら派手だろうな!後年入信しています。性と生の有り様を求めたのかな・・・