川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

僕のアーカイブ3

今日は日曜日で創作は休みます。僕の別の「唄とお面のブログ」から7月10日~7月15日分です。今回まで川柳のみです。

7月10日

今日は久しぶりに穏やかな海で、途中から嫁さんも来て泳ぎました。今日の川柳は「女たちの20世紀」より日本女子体育の母と言われた井口阿くり。秋田久保田藩武家に生まれ、女子師範を卒業の後、選ばれて東京女高師に入学。更にアメリカに留学して運動学・生理学・舞踊・遊戯や心理学・生物学等も学ぶ。帰国後、女性も心身を鍛えるべきと、スウェーデン体操を導入し、またブルマーを採用させる。
ブルマーの謳い踊れよ夏の日の 端遊 井口阿くりに感じて」
夏の日が7月の季語です。中学校の時の体育では女生徒はブルマーだった気がします。なかなか素敵でした。戦前の女性の体育教育は良妻賢母を育てるとの方針で、阿くりの思いとは違う方向に行きました。40歳で結婚をしています。

7月11日

朝、隣町で久しぶりに楽しく三人で走りおしゃべりしてきました。今日の川柳も「女たちの20世紀」より、19歳の若さで死んだ作家の木村曙。父は屈指の牛鍋屋「いろは」の主人で、何人も妾を持ち三十人以上も子を産ませた。フランスで刺繍を学びたいために必死に勉強したが、父の反対により果たせず、自由恋愛をしたと髪を切られ、親の決めた結婚・挙げ句の離婚は17歳である。この経験などを基に読売新聞に33回の小説を連載する。
「夕顔の異国に開き夢を編む 端遊 木村曙に感じて」
夕顔は夜に開き朝に萎む花で7月の季語です。連載した「婦女の鑑」は曙の夢を描いたようで心が痛みました。鹿鳴館の時代、和服の反物から洋服を仕立てる腕を持ち、和物小物を改良して輸出をしようとも考えていた才女です。

7月13日

朝、海に泳ぎに行きました。途中から嫁さんも来ました。今日の川柳も「女たちの20世紀」から、日本文学史に残る樋口一葉。少女時代は経済的に恵まれ、歌塾に入り和歌や古典を学ぶが、父の事業の失敗・死亡などで、17歳で戸主として一家を担う。19歳から小説を書き始め、24歳で肺結核で亡くなる前の14ヶ月の間に「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」など日本文学史に残る小説を発表する。
「遠き日の恋の模様か水中花 端遊 樋口一葉に感じて」
水中花が7月の季語です。一葉は淡い恋・忍ぶ恋・激しい恋など主に恋を書いたと思います。僕も「たけくらべ」や随筆を少し読んでみましたが、昔の文体なので意味は分かりましたが、味わうことはできませんでした。

7月14日

朝、隣町で三人でいつものコースを楽しく走り・おしゃべりして来ました。今日の川柳も「女たちの20世紀」より、第一回のナイチンゲール記章うけた萩原タケ。東京五日市村の炭屋に生まれ、学問好きの母に励まされて通信教育などで勉強し、20歳で看護学校に入学、日清・日露戦争などに日赤看護婦として敵味方の別なく看護する。また、海外留学や国際会議の出席などを経て、日本看護婦協会を育てた。
「風蘭の敵味方なく手を伸べて 端遊 萩原タケに感じて」
風蘭が7月の季語です。タケの写真とウィキペディアの風蘭の写真の雰囲気が似ていたこと、花が同じ方向に手を差し伸べている感じだったことでこの季語を使いました。

7月15日

朝、僕は海に泳ぎに、嫁さんは幼稚園に読み聞かせに行きました。今日の川柳も「女たちの20世紀」より、女性として初めて帝国大学に入学した丹下うめ。幼時に右目を失明するが、師範学校を出て教員となり、28歳で日本女子大学に入学、抜群の成績で卒業後助手に、40歳で東北帝国大学に入学、48歳で渡米し学位を得、帰国後母校の教授となり、67歳でビタミンの研究により東京帝国大学から農学博士の学位を受ける。82歳まで終生学究生活を続けた。
「コツコツと真理究めて百日草 丹下うめ」
百日草が7月の季語です。長く咲くこと、色々な色の花を咲かせることから、丹下うめに重ねました。本とウィキペディアの写真はどちらも素敵な笑顔で、結婚はしなかったけど幸福だったのではと思いました。
明日からブログは、文章と川柳の習字で構成しようと思います。