川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

僕のアーカイブ 21/23

休日は、もう少し僕の別の「唄とお面のブログ」から川柳と習字の分を載せます。

8月5日

朝、隣町に行き三人でいつものコースを楽しく走り・おしゃべりして来ました。友が60歳になると1ヶ月毎に体力の衰えを感じたが、70歳になると1日毎だと嘆息していました。西表島でもコロナが発生したとの話もありました。コロナに対しては自分の体力を信じる以外にないと嫁さんと話しています。

今日の川柳は「女たちの20世紀」より、産児調節の先駆的実践者の柴原浦子。広島に生まれ、家事・農業をしながら勉強を続け、看護婦の免許をとり更に生活のために助産婦の免許をとる。広島の貧しい村で開業し、女たちの悩みに真剣に向き合ううちに多産の苦しみを知り、産児調節に邁進する。当時非合法であった避妊の指導をしながら中絶も行ったため、46歳の時に堕胎罪で執行猶予判決を受けるが、手術を続け1年半獄に入った。戦時中は被差別部落に入り、中絶希望にためらいなく応じた。

「共に泣く線香花火パチパチ ン 柴原浦子に感じて 端遊」

線香花火が8月の季語です。浦子は女たちと共に泣き喜び、米騒動の時は漁民に頼まれ交渉に成功したり、土地の名士からも活動拠点を提供されたりしています。また彼女は、どんなに貧しくてもみな「天皇様の赤子」であり平等なのだという信念を持っていたそうです。柴原浦子はウィキペディアに出ていませんが、僕の中では平塚らいてうを越えています。


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