川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

寒雷 18 小野妹子

朝、1時間遅れて6時に起き、バイクを漕ぎました。今日は豊漁を願う金毘羅祭です。いつもは小学生の鼓笛隊パレードや小中学生による奉納相撲が行われるのですが、今回は漁師だけで神事と年間優秀者の表彰を行うようです。

今日は「日本史1200人」の第18番の小野妹子です。

近江の豪族出身で、607年に隋に派遣される。聖徳太子が書いたとされる国書が、皇帝煬帝を激怒させたが608年無事帰国した。皇帝煬帝からの返書を経由地の百済において紛失したが、推古天皇によって恩赦された。同年9月には再び大使として隋に派遣され、8名の留学生・留学僧とともに赴き、609年に帰国した。

「寒雷をスルリスルリと池坊(イケノボウ) 小野妹子 に感じて」

寒雷が11月の季語です。寒中になる雷のことです。煬帝を激怒させ、国書をなくしと、よくまァ許されたものです。ところで小野妹子は華道の家元・池坊において「華道の祖」とされています。伝承によれば、聖徳太子持仏の如意輪観音に、池の傍らで朝夕花を供えたといいます。

習字は、昨日の夜2枚書いて、今日5枚ほど書きましたが、結局昨日書いたものを選びました。こう書きたいな・・・と思う字を最初にノートに書くのですが、それを半紙に書くほどに忘れました。


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