川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

虎落笛 24 山背大兄王 

昨夜も殆どお酒を飲まず、コーヒーを飲みました。で、なかなか眠れませんでしたが、不思議と目覚めはスッキリしていました。節酒を続けようと、密かに思っています。

今日は「日本史1200人」の第24番の山背大兄王(?〜643)です。

聖徳太子の子である。推古天皇の死後に、田村皇子と皇位を争うが、蘇我蝦夷から意見をされ皇位は田村皇子が継承する(舒明天皇)。さらに、蘇我氏の実権が蝦夷の息子の入鹿に移ると舒明天皇の死後、入鹿はより意のままになる古人大兄皇子の擁立を企て、中継ぎに皇極天皇を擁立し、643年斑鳩宮を襲撃させた。山背大兄王生駒山に一旦は脱出したが、戦により百姓を傷付けたくないと、生駒山を下り斑鳩寺に入り、一族もろともに首をくくって自害し、上宮王家は絶えることとなる。

「父偉い偉すぎたのか虎落(モガリ)笛 山背大兄王 に感じて」

虎落(モガリ)笛が12月の季語です。強い北西の風が竹垣などに当たり笛のような寂しい音を出します。山背大兄王の襲撃には、後の孝徳天皇など、多数の皇族が加わっていたと言われています。

習字は、「父」の字が書けず、何枚も父の字だけを書きましたが、やはりイマイチです。「偉すぎたのか」は大兄王が寂しく自問する感じを表せたらと思いました。


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