川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

頬っ被 26 皇極天皇

 島は風が強く冬のようです。今日も家でバイクを漕ぎました。嫁さんがプロジェクターを使って全校生徒に読み聞かせする会に参加して、「大成功!」と帰って来ました。

今日は「日本史1200人」の第26番の皇極天皇(594〜661)です。

642年、舒明天皇の後、皇后が皇極天皇として即位した。49歳であった。その年、百済の王族の前で相撲をとらせた。これが記紀上初の相撲節会の記述となる。645年、中大兄皇子らが宮中で蘇我入鹿を討ち、翌日、入鹿の父の蝦夷が自害する。その翌日、皇極天皇は同母弟の軽皇子(後の孝徳天皇)に大王位を譲った。日本史上初の譲位とされる。

「懲り懲りよ後は頼むわ頬っ被 皇極天皇 に感じて」

頬っ被が12月の季語です。自分の息子が目の前で入鹿を殺し、その父に自殺されたのでは、嫌になっちゃうでしょうね。しかし孝徳天皇崩御後、62歳のとき再び斉明天皇として即位します(史上初の重祚)。実権は息子の中大兄皇子が執りました。

習字は、女性的な感じを出そうと思いました。「頼」と「頬」の頁の字は、なかなか形になりません。


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