川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

御用納め 44 鑑真

 昨夜、嫁さんのラインで東京に電話したら通じず、試しに僕にかけたら着信音が鳴りません・・・結局、東京では携帯と離れたところに居て聞こえず、僕の携帯はどうしてかマナーモードになっていて、聞こえませんでした。嫁さんの携帯の設定ミスとばかり思い・・・老人世帯は新しいものには疲れます。島は今日も風強く時々雨です。

「日本史1200人」の第44番の鑑真(688〜763)です。

唐の揚州江陽県の生まれ、14歳で得度し20歳で長安に入り、律宗天台宗を学ぶ。一方、日本では私度僧が多く、聖武天皇は伝戒師となる僧侶を捜していた。要請を受けた鑑真は、弟子に問いかけたが、危険を冒して渡日を希望する者はいなかったので自ら行くことを決意した。渡日は5回にわたり試みたが失敗し、5回目の渡航では漂流の激しい疲労で失明した。6回目に、沖縄・屋久島を経て来日が叶った。754年に入京し翌年に東大寺戒壇院を開き、また唐招提寺を創建して授戒に努めた。

「ニセ坊主御用納めぞ戒律じゃ 鑑真 に感じて」

御用納めが12月の季語です。授戒の制度により、戒律を守れる人だけが僧として認められることになり、堕落した僧はいなくなったそうです。鑑真は彫刻や薬草の造詣も深く、日本にこれらの知識も伝え、また、悲田院を作り貧民救済にも積極的に取り組みました。それにしても、鑑真から遥か700年以上前から漢に朝貢したり、300年前には新羅と戦争までしたり、と歴史にありますが、どんな渡海技術を持っていたのか不思議です。

習字は、嫁さんの携帯に振り回されてか不調です。「ニセ坊主」はそれらしく、「御用納めぞ」は控えめに、「戒律じゃ」はそれらしく、と書きましたが・・・不調です。


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