川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

年忘れ 49 太安万侶

 島は内地と同じく、大荒れの天気です。気温もいつもよりはグンと低く17℃です。今年はコロナで内地には帰りませんでしたが、コロナをほとんど意識することなく生活できたことは幸せでした。そして「お面と唄」から「川柳と習字」に変えたことが、一番大きな出来事でした。「お面と唄」のように、長く続けられたらと思っています。ブログは明日・明後日と休みます。

「日本史1200人」の第49番の太安万侶(オオノヤスマロ?〜723)です。

711年、元明天皇から稗田阿礼の誦習する「帝紀」「旧辞」を筆録して史書を編纂するよう命じられ、712年に「古事記」として天皇に献上した。古事記は歴史書であるとともに文学的な価値も非常に高く評価され、多くの歌謡も挿入されている。

須佐之男命が櫛名田比売と結婚したときの歌

「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」

★倭建命が東征の帰途で故郷を想って歌った歌

「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭し うるわし」

「国産みをミュージカルにて年忘れ 太安万侶 に感じて」

年忘れが12月の季語です。安万侶は壮大な国誕生の物語を歌謡を加えて編纂することに夢中になっただろうな・・・720年に完成した「日本書紀」の編纂にも加わったとされています。なお1979年、奈良市此瀬町の茶畑から安万侶の墓が発見されました。

習字は、「国産み」を優しく堂々と、「ミュージカル」は楽しく、「年忘れ」は今年最後を思い「年」を大きく書きました。


f:id:tanyuu4792:20201230142033j:image