川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

歌留多 50 稗田阿礼

明けましておめでとうございます。静かな令和3年を迎えました。31日の夜は、ユーチューブで都はるみ吉幾三・秋田蓮などを聞いて楽しく年を越し、昨日は映画を見たりしました。この一週間は太ったかなと思いましたが0.6kg減っていました。

 「日本史1200人」の50番 稗田阿礼(ヒエタノアレイ654〜?)です。

古事記の序文より・・・一人の舎人がいた。姓は稗田(ヒエダ)、名は阿礼(アレ)。年は28歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない。すぐさま(天武)天皇は阿礼に「帝紀旧辞を誦習せよ」と命じた。

「国造り記憶の綾を歌留多にし 稗田阿礼 に感じて」

歌留多が新年の季語です。記憶の達人は映像と言葉を組合せて覚えていくそうです。阿礼も時を縦糸に、出来事を横糸にして歌留多を作り、繰り返し口誦していたのかな・・・なお、阿礼の誦習は「正しく知り、繰り返し口に出す」という意味のようです。阿礼は女性かも、架空の人物かも、という説もあります。

習字は書初めなので気張りました。「国造り」は素朴に、「記憶の綾を」は流れるように、「歌留多」は隷書風に書きました。気張って何枚も書きましたが、実力以上は望めないです。


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