川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

新年 53 山上憶良

 朝、隣町に行き、走り初めをして来ました。真っ暗で風の強い中をバイクで行き、ランの途中で雨に降られたりもしましたが、無事楽しく終えることが出来ました。

「日本史1200人」の第53番の山上憶良(660〜733)です。

奈良時代初期の貴族・歌人。42歳で唐に渡り儒教や仏教など最新の学問を研鑽する。官人でありながら、重税に喘ぐ農民や防人に取られる夫を見守る妻などを多数詠んでおり、異色の社会派歌人として知られる。代表的な歌に「子らを思ふ歌」「貧窮問答歌」などがある。万葉集には78首があり、大伴家持柿本人麻呂山部赤人らと共に歌人として評価が高い。

「新年に火も無しと詠む僕貴族 山上憶良 に感じて」

新年が新年の季語です。憶良は67歳で大宰府に下り、そこで多くの作品を残し、帰京後74歳で亡くなりました。貧窮問答歌(現代語訳抜粋)「・・・地べたに藁をばらばらに敷いて、父母は枕元に、妻子は足の方に、身を寄せ合って、かまどには煙もたてず・・・むちを持った里長がやって来て呼び立てている・・・」中国の貧窮賦などを参考に、詠んだのではとも言われています。

習字は、「新年に火も無しと」は貧しい感じで、「詠む」はすっくと、「僕貴族」は幼い感じで書きました。齢を取ると子どもに帰ると言うし、憶良もそうかなと思いました。


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