川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

寒の猿 60 有間皇子

 島は今日から暖かくなるはずですが、寒くて一生懸命バイクを漕ぎました。南東向きの嫁さんの部屋は暖かくなって来たようです。ゆで卵とマヨネーズの、卵サンドが美味しくて昨夜と今朝も食べました。ダイエットが心配です。

「日本史1200人」の第60番の有間皇子(640〜658)です。

孝徳天皇の皇子。父の死後、政争に巻き込まれるのを恐れ、狂気を装い湯治に行った。湯治から帰ると蘇我赤兄(アカエ)が近付き、斉明天皇中大兄皇子の失政を指摘し、自分は皇子の味方であると告げた。皇子は喜び、斉明天皇中大兄皇子を打倒するという自らの意思を明らかにした。ところが蘇我赤兄中大兄皇子に密告したため、謀反計画は露見し、藤白坂で絞首刑に処せられた。

「寒の猿イイ湯と嫁は夢の果て 有間皇子 に感じて」

寒の猿が1月の季語です。テレビCMで見た寒の猿は温泉に入って極楽気分のようでした。有間皇子も湯治場で嫁でも貰って暮せればよかったな・・・なお蘇我赤兄有間皇子に近づいたのは、中大兄皇子の意を受けたものと考えられています。

習字は、「寒の猿」は寒く寂しく、「イイ湯と嫁は」は優しく、「夢の果て」は儚く、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20210114095229j:image