川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

凍鶴 69 藤原清河

 16年使った電子辞書が傷んできたので、新しい電子辞書を注文しました。歳時記や日本史・世界史が充実していて、英会話の新しい勉強もできそうです。嫁さんが隣町に行ったので、今日は一人で夕方のジョグをしました。久しぶりに走ってみました。

「日本史1200人」の第69番の藤原清河(フジワラノキヨカワ)です。

藤原北家の祖・藤原房前の四男。750年第12次遣唐使の大使に任じられる。長安に入って玄宗に謁見し、君子人なりと称賛された。753年、在唐35年で唐の高官になっていた阿倍仲麻呂を伴って帰国の途につくが、逆風に遭い唐南方の現北部ベトナムに漂着する。土人の襲撃を受け、ほとんどの船員が殺害され船も壊されるが、清河と仲麻呂は辛うじて逃れ755年長安に帰着。清河は河清と名を改めて唐朝に出仕する事になった。その後、安史の乱などもあり、帰国を熱望していたが在唐十余年に及び客死した。

「凍鶴よ羽持つ夢を分かるまい 藤原清河 に感じて」

凍鶴(イテヅル)が1月の季語です。寒い日の凍りついたような鶴をいいます。「いいじゃないか、お前は羽を持ってるんだから。分からないだろうな、俺のことは」という感じです。なお、清河は唐の婦人と結婚して喜娘という娘を儲けており、778年に喜娘は第16次遣唐使に伴われて来日しています。

習字は、「凍鶴よ」は寒く寂しく、「羽持つ夢を」は激しく、「分かるまい」は弱く、というつもりで書きました。チョッとどう書いたらいいか分からないままに書いてしまいました。


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