川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

寒鴉 74 藤原広嗣

 土曜日の朝は体重を計ります。ドキドキでしたが59.8kgと60kgを切っていました!高校以来の50kg台です!・・・膝に負担をかけずに走れると思っていた体重です。何だかイロイロと嬉しくなりました。

「日本史1200人」の第74番の藤原広嗣(ヒロツグ?〜740)です。

藤原式家の祖・藤原宇合の長男。藤原四兄弟の死後、反藤原勢力台頭の中で、広嗣は皇太夫人・藤原宮子と玄昉の関係を誹謗したとして大宰府に左遷される。後、広嗣は災厄の元凶は反藤原勢力の要の吉備真備と玄昉であり二人を追放すべきと、大宰府の手勢や隼人など1万余の兵力を率いて反乱を起こしたが、追討軍に敗走し捕まり処刑された(藤原広嗣の乱)。

「寒鴉泣いても坊主喰えないカァ 藤原広嗣 に感じて」

寒鴉が1月の季語です。枯れ木にすがる姿・声は怖くも親しくもあります。「寒鴉泣いても」を広嗣が直訴してもと掛けました。現実の玄昉は乱では勝者側ですが、後には広嗣の怨霊によって死んだとされ、また、広嗣の怨霊を鎮めるため、唐津に鏡神社が創建されました。

習字は、「寒鴉泣いても」は怨みがましくクネクネと、「坊主喰えない」はアクドくと思ったのですが、全体に似たような感じになってしまいました。まあ体重が減ったので良しとしました。


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