川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

雪崩 76 橘奈良麻呂

 昨日も、空腹16時間で朝のロングラン、夕方の嫁さんとのジョギングをしたせいか、朝方、足から力が抜けたようになりました。2日続けるのが限度と分かり、朝はバイクを漕ぐのも止めました。

「日本史1200人」の第76番の橘奈良麻呂(721〜757)です。

左大臣橘諸兄の子。奈良麻呂は、孝謙天皇に寵愛される藤原仲麻呂の専横に強い不満を持ち、大伴古麻呂・小野東人らと語らい仲麻呂の排除を画策した。奈良麻呂は会合を重ね密かに同志を募ったが、そこから密謀が漏れてしまう。山背王が仲麻呂に対して「奈良麻呂らが兵器を準備している」と密告した。

「雪崩打て肩たたき合いチクリ合い 橘奈良麻呂 に感じて」

雪崩が2月の季語です。「雪崩のように一気に打て!」と威勢は良かったのですが・・・謀反に関わった道祖王黄文王、古麻呂、犢養らは、訊杖で何度も打つ拷問の末、次々と獄死しました。奈良麻呂も記録が残っていませんが、獄死したと思われます。

習字は、「雪崩打て」を威勢よく、「肩たたき合い」をスッキリと、「チクリ合い」をネチネチと、というつもりで書きました。


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