川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

恋猫 77 淳仁天皇

 昨夜、張り切って半紙1000枚とランニングシューズを注文しました。どちらも安価ですが、ずっと続けたいと思いはこもっています。そして、朝はロングランをして来ました。昨日休んだお蔭で、快適に走ることができました。

「日本史1200人」の第77番の淳仁天皇(733〜765)です。

天武天皇の孫。3歳で父が没し、官位を受けることもなかったが、孝謙天皇に寵愛されていた藤原仲麻呂の強い推挙により758年に天皇となった。政治の実権はほとんど仲麻呂が握っていた。しかし、孝謙上皇道鏡を寵愛するようになり、天皇がこれを諫めたところ上皇は烈火のごとく激怒し、対立するようになっていく。764年、藤原仲麻呂の乱が失敗に終り、「仲麻呂と関係が深かったこと」を理由に廃位を宣告され淡路国に流される。

「恋猫をお諌めなんて馬鹿でした 淳仁天皇 に感じて」

恋猫が2月の季語です。物狂おしく鳴いて、食べることさえ忘れます。上皇重祚して称徳天皇となります。淡路の先帝のもとに通う多くの官人に危機感を抱いたようで、先帝は公式には病死と伝えられていますが、実際には暗殺されたと推定されています。

習字は、「恋猫を」は恋する大人猫を、「お諌め」は勇ましく、「なんて馬鹿でした」は情けなく、というつもりで書きました。「馬鹿」が笑ってしまう感じですが、面白いのでOK!としました。


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