川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

建国の日 84 坂上田村麻呂

 朝、風邪を引いたように怠く、ゆっくり起きてルルを飲みました。それでも朝食を止めたので、時間はゆったりしています。英語やエクササイズの後、雨が降っているのでバイクを漕ぎました。

「日本史1200人」の第84番の坂上田村麻呂(758〜811)です。

公卿、武官。801年、44歳のときに征夷大将軍として出征し、蝦夷を征討する。胆沢城造営中に大墓公阿弖利爲と盤具公母禮等が500余人を率いて降伏してきた。田村麻呂は阿弖利爲と母禮を故郷に返して、治めさせるのが得策と主張したが、受け容れられなかった。810年、平城上皇平城京へ遷都する詔勅を発っしたことで「薬子の変」が始まるが、田村麻呂が指揮する兵が行く手を遮ったことを知り、平城上皇は出家し、薬子は毒を仰いで自殺した。田村麻呂は死後、嵯峨天皇の勅命により平安京の東に向かい、立ったまま柩に納めて埋葬され、「平安京の守護神」「将軍家の祖神」と称えられて軍神として信仰の対象となる。

「建国の日は君がためナイスガイ 坂上田村麻呂 に感じて」

建国の日が2月の季語です。この日にはいろいろ議論があるようです。田村麻呂の日としてもグー!と思うくらい、伝説はナイスガイです。現在は武芸の神や厄除の大神として親しまれ、後世に多くの坂上田村麻呂伝説が出来ました。田村麻呂は「清水の舞台」で有名な清水寺を建立した事でも有名です。

習字は、「建国の日は」はスッキリと、「君がため」は誇らしく、「ナイスガイ」はそれなりに、と気楽に始めたら「日」と「ナイスガイ」の形が決まらず、結局いつもより時間がかかりました。


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