川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

鶯 88 円仁

昨日の夕方、お土産のケーキをいっぱい頂いたので、思わずいっぱい食べ、その分食事を抜きました。で、朝のロングランはエネルギー不足で、ゆっくりジョグになりました。それでも歩幅を小さくしてリズミカルに走り楽しく出来ました。

 「日本史1200人」の第88番の円仁(エンニン794〜864)です。

現在の栃木県に生まれ、15歳の時に最澄に師事し師から深く愛される。838年、2回の渡航の失敗の後、最後の遣唐使として唐に留学するが規制が厳しくなり、危険を冒して不法在唐を決意し、在唐新羅人社会の助けを借りる。天台山に代わる五台山を新たな目標とし、約1270kmを歩き840年に五台山を巡礼し、法華経密教の整合性に関する解答を得、五台山所蔵の仏典37巻を書写する。さらに最先端の文化の地・長安へ約1100kmを歩き、台密にまだなかった念願の金剛界曼荼羅を得る。帰国の旅も苦難の連続であったが、847年54歳で新羅船に便乗して帰国する。最澄空海が持参しなかった経典を多く持ち帰り密教の発展に寄与した

「鶯や法華経と鳴き飛んで行く 円仁 に感じて」

鶯が2月の季語です。「ホー法華経!」と鳴きます?円仁も飛んで行きたかっただろうな・・・この9年6ヶ月に及ぶ旅の日記が「入唐求法巡礼行記」で、前駐日大使のエドウィン・O・ライシャワーの研究により日本でも、欧米でも知られるようになりました。帰国後、円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余とされ、平泉中尊寺浅草寺もそのひとつです。

習字は、「鶯や」はおおらかに、「法華経と鳴き」はサラサラと、「飛んで行く」は優しく、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20210216113756j:image