川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

寒明け 90 空海

 朝、風がありましたが、太平洋を見下ろしながらロングランをしました。故郷・宮城の兄や友達のことを思いながら走りました。

「日本史1200人」の第90番の空海(774〜835)です。

現在の香川県に生まれ、19歳の頃から山林での修行に入り、24歳で儒教道教・仏教の比較論でもある「聾瞽指帰」を著して俗世の教えが真実でないことを示す。804年、学問僧として唐に渡り、805年まず印度僧般若三蔵に師事し、梵語の経本や新訳経典を与えら、次に密教の第七祖・恵果和尚に約半年師事する。恵果は空海を初対面で見抜いて、即座に密教の奥義伝授を開始し、3ヶ月後には「この世の一切を遍く照らす最上の者」を意味する遍照金剛の灌頂名を与える。空海は500人もの人々を招いて食事の接待をし、感謝の気持ちを表している。同年、恵果和尚が60歳で入寂。空海は全弟子を代表して和尚を顕彰する碑文を起草した。

「一切ぞオケラ虫けら寒明けぞ 空海 に感じて」

寒明けが2月の季語です。寒が明けいよいよ春です。空海は文無しのオケラや、取るに足りない虫けらにも春を持って来たのではと思いました。806年に帰国し、809年に嵯峨天皇が即位した後入京し、高雄山寺に入りました。入京には最澄の尽力があったといわれています。空海は816年に高野山を、823年に東寺を賜り、真言密教の道場とするなど布教に努める他、満濃池の改修や教育施設「綜芸種智院」の開設など社会事業にも活躍しました。

習字は、「一切ぞ」はおおらかに、「オケラ虫けら」は虫のように、「寒明けぞ」はスッキリと、というつもりで書きました。「オケラ虫けら」がなかなか書けませんでした。空海天皇・貴族の現世利益を祈祷することが多かったようですが、最晩年は遍照金剛に相応しく、一切の生き物のために祈ったような気がします。


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