川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

雪虫 94 藤原道長

 下の話で恐縮ですが、今朝はチョッと快適なお通じでした。英語で

I had a nice movement this morning. のようです。ミニ断食のせいかな・・・便秘対策は片手に余るほどしています。島は春が来たような天気が続いています。

「日本史1200人」の第94番の藤原道長(966〜1027)です。

藤原北家藤原兼家の五男。兼家の死後に摂関となった道隆が大酒、道兼が伝染病により相次いで病没。道隆の嫡男・伊周との政争に勝って左大臣として政権を掌握した。後一条天皇後朱雀天皇後冷泉天皇の外祖父となり、「一家立三后」(一家三后)と驚嘆された。道長は即興の歌「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」(この世は 自分のためにあるようなものだ 満月のように 何も足りないものはない)を詠んだ。

雪虫も命いっぱい我が世だぜ 藤原道長 に感じて」

雪虫が2月の季語です。早春の雪の上に這い回っている黒い小さな虫です。セッケイカワゲラと言い氷点下でも活動できる、例外的な恒温性を持つ虫です。「いっぱい」は「あふれるばかりに満ちている」様子です。野生は生きているだけで満月ですね。道長は晩年は壮大な法成寺の造営に精力を傾け、ここに住みましたが、寛子・嬉子・顕信・妍子と多くの子供たちに先立たれ、病気がちで安らかとは言えませんでした。

雪虫も」はサラリと、「命いっぱい」は元気に、「我が世だぜ」は虫たちが見栄を切ってるようにゴチャゴチャと勢いよく、というつもりで書きました。


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