川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

啓蟄 100 藤原仲成

 朝から天気が荒れ模様なのでバイクを漕ぎました。マインドフルネス用の音楽を聴きながら漕ぎました。これからの暮らし方の一環です。

「日本史1200人」の第100番の藤原仲成(764〜810)です。

式家の種継の長男。妹の薬子が天皇の寵愛を受けた事もあり、仲成は重用され権勢を誇ったが、欲の深い性格で酒の勢いで行動する事があり、陰険で専横な振る舞いが多かったために人々から憎まれたという。平城天皇嵯峨天皇に譲位すると、権勢の失墜を恐れた仲成・薬子兄妹は上皇重祚を画策して二所朝廷の対立を招く。しかし、嵯峨天皇に先手を打たれて捕縛、監禁の上、射殺された(薬子の変)。

啓蟄の目鼻口からゾロぞろり 藤原仲成 に感じて」

啓蟄が3月の季語です。二十四節気の一つで3月6日頃に当り、土中深くに潜んでいた虫がはい出る頃です。ゴロリと捨てられた頭(コウベ)から因果応報に虫どもが出てくるイメージです。「射殺」という処刑方法は、法律の規定に基づいた「死刑」ではなく、天皇独自の判断による「私刑」であった可能性が指摘されています。

習字は、「啓蟄の」は字を続けて少しくどく、「目鼻口から」は崩れた感じを直線的に、「ゾロぞろり」は気持ち悪く、というつもりで書きました。「目鼻口」を直線的にしたのは、両側が曲線的だからですが、細い線を主体に初めての試みです。


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