川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春の山 102 藤原忠平

 朝、今日は自然治癒力用の音楽を聴きながら走りました。静かな音楽ですが早く走ってみました。息が切れたところで止まれば、と思いながら走りましたが、なんと最後まで走れました。右膝を傷めて依頼、3年ぶりの快速でした。後半ふと「やりがい」という言葉が浮かび、そうだ!「趣味≒生きがい」じゃなく「趣味→やりがい≒生きがい」だと改めて感じました。

「日本史1200人」の第102番の藤原忠平(880〜949)です。

基経の四男。兄・時平の早世後に朝政を司り、延喜の治と呼ばれる政治改革を行った。930年に醍醐天皇は病が篤いため、朱雀天皇に譲位したが、新帝が幼少であるため摂政に任じられた。上皇天皇に遺言をし、その中で「忠平の訓を聞くこと」と話した。941年、朱雀天皇元服したため摂政を辞すが、引き続き万機を委ねられ、関白に任じられた。以後、村上天皇の初期まで長く政権の座にあった。平将門は忠平の家人として仕えていた時期もあった。忠平は寛大で慈愛が深かったので、その死を惜しまぬものはなかったという。

「才色も情も程良し春の山 藤原忠平 に感じて」

春の山が3月の季語です。芽吹きも盛んになり、誘われて人々がやって来ます。寛大な忠平に掛けました。才色・情は・・・醍醐天皇の頃、人相占い師が宮中に召され、後の朱雀天皇は「容貌美に過ぎる」時平は「知恵が多すぎる」菅原道真は「才能が高すぎる」と判じました。ところが、下座にあった忠平を見て「神識才貌、全てが良い」と絶賛し、この話から皇女が降嫁されたというエピソードからです。春の山も全てにいい感じです。

習字は、「才色も情も」はスッキリと、「程良し」は柔らかに控えめに、「春の山」は笑っているように、というつもりで書きました。昨夜かなり酔っ払って練習に書いた作を見たら、どうして書けたのか分からないくらい良いので、これを載せます。勿論、自分の技量からしたら良いのですが、細い線は素面では今は書けません。


f:id:tanyuu4792:20210304090305j:image