川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春の虹 110 紫式部

 朝、喜多郎を聴きながらロングランをして来ました。昨日一生懸命走ったので、今日はゆっくりしか走れませんでした。帰ってシャワーを浴びて恒例の体重測定は57.4kg、先週より0.4kg減っていました。お腹周りの脂肪が取れればいいなァ〜

「日本史1200人」の第110番紫式部(ムラサキシキブ)です。

藤原北家中流貴族で詩人の藤原為時の娘。日本文学の最高峰のひとつ「源氏物語」を執筆する。式部の宮中での生活をつづった「紫式部日記」も残し歌人としても活躍する。「源氏物語」の評判は藤原道長にも届き、式部を高く評価した道長は、娘・彰子の女房として抜擢した。式部は以後始まった宮廷生活の経験も加えた上で、人間の美と悲哀を描ききった。足かけ10年、54帖に及ぶ大作であった。

「春の虹儚い恋はお茶の子よ 紫式部 に感じて」

春の虹が3月の季語です。春の虹は淡く儚い感じがします。源氏物語は儚い恋のオンパレードです。式部は998年に20歳ほど年長の藤原宣孝と結婚しますが約2年後に宣孝は死去します。「源氏物語」執筆のきっかけは、取り残された寂しさを紛らわすことだったとも言われています。彰子が皇太后になった後1013年頃、式部は宮廷を去りますが、晩年については記録がありません。

習字は、「春の虹」は女性らしくスッキリと、「儚い恋は」強弱をつけて、「お茶の子よ」オシャマな女の子のように、というつもりで書きました。書いている内に10代の式部が浮かんで来ました。


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