川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

暖か 111 藤原彰子

 昨日は沢木耕太郎の「春に散る」を読んだり、中田敦彦さんの「東南アジア史」を見たりしました。今日は習字を書いてから、海沿いのロングランをして来ました。

「日本史1200人」の第111番の藤原彰子(ショウシ988〜1074)です。

藤原道長の長女。999年に12歳で一条天皇後宮に入り、女房である紫式部和泉式部赤染衛門らに教育を受けた。聡明で優しく、ライバルにも礼儀や援助をかかさず生涯面倒を見た。一条天皇とは最期まで一緒におり、一条の辞世の句は彰子の傍らで読まれ、彰子が書き留めた。栄華を極めながら思慮深く「賢后」と賞された。

「暖かに一流女房ざァますよ 藤原彰子 に感じて」

暖かが3月の季語です。時々冷たさが残る暖かさです。歴史に残る女房たちはライバルに勝つためにどんな教育をしたのかな・・・一条天皇が死の床にあって、彰子が生んだ第二皇子の立太子が決定します。一条天皇の真意が定子が生んだ第一皇子にあり、自身も愛情を込めて養育していた彰子は、第二皇子の立太子を後押しした父・道長を怨んだといわれています。実子より養子を大事にした彰子と伝えられますが、結局、実子が立太子しているので真実は分かりません。

習字は、「暖かに」は少し毒を含んだように、「一流女房」はスッキリと、「ざァますよ」はオホホッという感じ、というつもりで書きました。「ざァますよ」は初めは大きく書いたのですが、一流女房は小声でアドバイスだろうなと思い、小さく書きました。


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