川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

黄水仙 113 藤原定子

 2日続けてロングランをしたので散歩でもと思ったのですが、もう一度寝ました。5日前から休みを入れず本を読んだりしていたので、息が詰まって来た感じです。

「日本史1200人」の第113番の藤原定子(テイシ977〜1001)です。

藤原道隆の長女。990年に14歳で一条天皇中宮となる。同じ中宮となる彰子よりも9年早い。聡明で一条天皇との仲も良好であった。しかし、定子の兄・伊周と弟・隆家らが花山院を射る事件を起こした際には二人をかくまい、自ら鋏を取り出家するに到る。その約2年後、一条天皇は周囲の反対を押し退け、再び定子を宮中に迎え入れたが内裏の中へ正式に入れず、天皇が人目を避けて密かに通わざるを得なかった。

「一途です尼でも甘い黄水仙 藤原定子 に感じて」

黄水仙が3月の季語です。花言葉は「もう一度愛してほしい、私のもとへ帰って」です。定子の一途な思いを句にしたかったのですが、「尼でも女」の意を尼と甘の音でダジャレました。出家後の后の入内は異例中の異例の不謹慎で、藤原実資はその日記「小右記」に「天下不甘心」の語を記しています。

習字は、「一途です」は柔らかくスッキリと、「尼でも甘い」は甘く但し尼は抑えて、「黄水仙」は強く、というつもりで書きました。


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