川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

都忘れ 115 藤原純友

 朝、マインドフルネスの音楽を聴きながらロングランをして来ました。僕はX脚のせいか左足を地面に摺って走りがちですが、自然な走り方がやっと出来るようになってきました。

「日本史1200人」の第115番の藤原純友(?〜941)です。

藤原北家の出身であるが、早くに父を失い都での出世は望むべくもなく海賊制圧に赴き、そのまま伊予国に根を下ろした。936年頃には自らが海賊の棟梁となり、やがて勢力を瀬戸内海全域に延ばし、940年には淡路国讃岐国国府大宰府を攻略する。朝廷は大いに慌てたが、小野好古源経基らを送り翌年に制圧する。

「ざまァ見ろ都忘れの海賊さ 藤原純友 に感じて」

都忘れが3月の季語です。紫や淡紅の花をつけます。純友が反乱を起こした当時、関東では平将門が反乱を起こしていました。将門と純友は謀議をして、京都を制圧した時には将門が天皇、純友が関白になると計画していたという逸話があります。

習字は、「ざまァ見ろ」は意味のとおりに、「都忘れの」はフワーと、「海賊さ」は勢いよく、というつもりで書きました。


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