川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

開帳 118 藤原基衡

 朝、バッハのチェロ無伴奏組曲を聴きながら、海沿いをロングランして来ました。帰って洗濯や排水口の掃除などもし、ここまでは快調でしたが、その後、習字で一日が過ぎました。

「日本史1200人」の第118番の藤原基衡(モトヒラ?〜1157)です。

藤原清衡の子。国司の力を上回る勢力を得た基衡は、一時国司との紛争を起こしたが、京都の藤原氏との関係を築くことに努め、その結果奥州での地位を一層固めた。平泉に天台宗毛越寺を建立した。毛越寺の本尊は、基衡の依頼により都の仏師雲慶により作られたが、その謝礼として百両もの金をはじめとした絹や奥州産の馬、蝦夷ヶ島(北海道)産のアザラシの毛皮など大量の品物を基衡は送った。

「有難や雲慶仏のご開帳 藤原基衡 に感じて」 

開帳が3月の季語です。秘仏を信徒に拝観させることです。なお、雲慶は運慶ではありません。ネットで調べても仏師・雲慶は出てきません・・・基衡は血液型A型、身長は167cmで、肥満体質であり三代中もっとも恵まれた体の持ち主です。歯にカリエス歯槽膿漏。右側上下肢に軽度の骨萎縮が見られ、右半身不随があり、脳圧の上昇が確認され、脳栓塞などで急死した可能性が報告されています。

習字は、「有難や」は控えめに、「雲慶仏の」は曲線的に大きく、「ご開帳」は直線的に、というつもりで書きました。今日は特に多くの枚数を書きました。さて、アップしようと思って、もう一度文章を読んだら、運慶ではなく雲慶でした・・・川柳から考え直すのは辛かったので運を雲に替えるだけにしました。習字は、また何枚か書きましたが、気力がなくなっていました。


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