川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

曲水 119 藤原秀衡

 朝、夜中に足が攣ったりして30分遅く起きました。起きてすぐは英単語ですが、ふと「いまモリッシーを聴くこと ブレイディみかこ」を読みだしたら時間が過ぎ、ランは3時間近く遅く始めました。

「日本史1200人」の第119番の藤原秀衡(ヒデヒラ1122〜1187)です。

藤原基衡の子。奥州藤原氏の最盛期を築いた。奥州産の金と馬によって莫大な財力を蓄え、当時の平泉は平安京に次ぐ人口を持つ都市となった。また、源義経を16歳から6年間養育し、さらに晩年には源頼朝から追われる義経をかくまった。秀衡が健在の間は頼朝は平泉に朝廷を通じて義経追討を要請し、軍事行動には至っていない。頼朝は秀衡を怖れており、奥州藤原氏に対して圧力を強めるのは秀衡の死後であった。

「曲水も酒も女も金と馬 藤原秀衡 に感じて」

曲水が3月の季語です。小川に盃を浮かべて詩を作り、その杯を手に取り酒を飲む、貴族の宴です。奥州ではチョッと難しそうですが、金と馬で何でも買い!・・・秀衡は血液型AB型、身長164cm、肥満体質で重度の歯槽膿漏で虫歯もあり、美食の結果かと思われます。レントゲン検査によると、脊髄に炎症があり晩年は臥床できなかった可能性があるそうです。腎疾患・心機能不全なども見られました。死因は骨髄炎性脊椎炎で、右手首に数珠玉の跡が二列並んでいました。

習字は、「曲水も」は細く流れるように、「酒も女も」はゆったり、「金と馬」は強く勢いよく、というつもりで書きました。


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