川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

田打ち 121 嵯峨天皇

 朝、ヒーリング音楽を聴きながら、海沿いを走って来ました。新年度の4月から本をもう少し読んで行こうと、ノンフィクション・歴史小説・SF・児童文学など、いろいろ探しています。

「日本史1200人」の第121番の嵯峨天皇(786〜842)です。

52代天皇桓武天皇の皇子。平城天皇の弟。薬子の変後、蔵人・検非違使を設置する。文筆に長け三筆のひとり。約40年間にわたり平穏な治世を送り、宮廷の文化が盛んとなる。818年には法令をまとめ死刑を廃止した。中央政界における死刑の廃止は以後保元の乱まで338年間続く。一方、農業生産が極度の不振にあり、大土地所有の制限を緩和して荒田開発を進めた。823年には、空海に東寺を賜い、その前年には、最澄の悲願であった大乗戒壇の設立を認めている。

「遠足は田打ち見学ホォ女(メ)じゃな 嵯峨天皇 に感じて」

田打ちが3月の季語です。田植えの準備で、土を掘り起こし細かく砕く作業をいいます。農業が不振なので、野遊び≒遠足は田打ち見学、でも貴人の性か目は女性を探して・・・嵯峨天皇は子供が多数おり、その生活費も財政圧迫の原因となりました。そこで皇族の整理を行い、多数を臣籍降下させました(源氏の成立)。

習字は、「遠足は」は子供っぽく、「田打ち見学」はスッキリ・但し「学」は鼻の下を長くした感じで、「ホォ女じゃな」はそれらしく・「女」はお尻かオッパイの感じに、というつもりで書きました。


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