川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

淡雪 122 文徳天皇

朝、海沿いを走ろうと思ったら、雨が降ってきたので、バイクを漕ぎました。恒例の体重測定は56.8kgで、先週より0.1kgの減でした。ブログは来週4月から週休2日とし、土日を休もうと思います。もう少し本を読んだり、ハーモニカやウクレレをしたくなりました。

 「日本史1200人」の第122番の文徳天皇(827〜858)です。

55代天皇仁明天皇の皇子。母は藤原冬嗣の娘。伯父・藤原良房にも推されて立太子し、850年に仁明天皇の譲位により皇位につく。この経緯から、藤原良房は次第に権勢を強めた。文徳天皇東宮の頃に、良房の娘が入内しており第四皇子を産んだ。この皇子は生後8か月で3人の兄を押しのけ立太子した(後の清和天皇)。その後も天皇と良房の暗闘は続き、良房の圧力の前に、遂に一度も内裏正殿に居住して生活することはなかった。また、病弱で朝廷の会議や節会に出る事も少なく、在位8年で逝去した。

「淡雪や夢も希望もポタポタと 文徳天皇 に感じて」

淡雪が3月の季語です。水分が多くポタポタと降り、すぐに解けて消えていきます。天皇なのに子も家もままならないで、儚く亡くなる生涯を、淡雪に掛けました。なお、天皇は第一皇子の立太子を条件に第四皇子への譲位を図りますが、第一皇子の身に危機が及ぶ事を恐れた左大臣源信の諫言で取り止めとなりました。

習字は「淡雪や」はスッキリと、「夢も希望も」は幼く弱く、「ポタポタと」はだんだん消えるように、というつもりで書きました。


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