川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

早蕨 124 宇多天皇

 昨夜は足が何度も攣り眠れず、少しゆっくり起きました。ルルを飲んで、朝のランは英会話を聴きながらタラタラと走って来ました。

「日本史1200人」の第124番の宇多天皇(867〜931)です。

59代天皇光孝天皇の皇子。関白・藤原基経の死後、親政政治を実施(寛平の治)する。藤原北家嫡流以外の菅原道真などを登用し、藤原氏の専横阻止を試みた。この期間には遣唐使の停止、諸国への問民苦使の派遣などの諸改革、国史の編纂などを行い、また文化面でも菊合や后宮歌合などを行い、多くの歌人を生み出す契機となった。897年に突然譲位し太上天皇となる。この突然の譲位は、かつては仏道に専心するためと考えるのが主流だったが、近年では藤原氏からの政治的自由を確保するためなどとも考えられている。

「早蕨(サワラビ)よ拳はパーじゃ仏心ゾ 宇多天皇 に感じて」

早蕨(サワラビ)が3月の季語です。芽を出したばかりの蕨で、先端が拳のように丸まっています。藤原北家に挙げた拳を、仏心で開きましょうと、思ったかな・・・宇多天皇は譲位後に仏道に熱中して899年には出家し、東寺で受戒した後、仁和寺に入って法皇となり、高野山比叡山熊野三山にしばしば参詣しました。真言宗の発言力が高まりました。

習字は、「早蕨よ」はスッキリ、「拳はパーじゃ」は強く明るく、「仏心ぞ」は柔らかく、というつもりで書きました。


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