川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

鶯餅 127 村上天皇

 朝、バッハのチェロ無伴奏組曲を聴きながら海沿いをロングランして来ました。シャワーを浴びて体重を測定したら、56.0kgと目標を達成していました。ビックリしました。

「日本史1200人」の第127番の村上天皇(926〜967)です。

62代天皇醍醐天皇の皇子。第十四皇子ながら、母が中宮であるため重んじられ、946年に朱雀天皇の譲位により即位する。天皇親政を実施し「天暦の治」として後世景仰された。村上天皇は「大鏡」の逸話で有名である。ある時清涼殿の前にあった梅の木が枯れてしまった。都の外れの家に見事な紅梅が見つかり、主命であることを告げて移植されたその紅梅を、天皇がふと見るとそこに短冊が結ばれている。「勅命とあらばたいへんおそれ多いことなのでお断りはできませんが、もしこの紅梅に毎年巣を作るウグイスが帰ってきて我が家はどうなってしまったかと尋ねられたら、さて私はどのように答えたらよいのでしょう」とあった。この歌の作者は紀貫之の娘の紀内侍(きのないし)であること、そして父の死後その紅梅を父の形見として慈しんでいたことがわかった。それを知った天皇は「さても残念なことをしてしまったものだ」といったという。

「お詫びです鶯餅はお洒落かな 村上天皇 に感じて」

鶯餅が4月の季語です。鶯は2月ですが餅は4月です。巣を無くしたウグイスの代わりに鶯餅じゃ洒落にならないかな・・・村上天皇は文治面では、「後撰和歌集」の編纂を下命したり、内裏歌合を催行し、歌人としても歌壇の庇護者としても後世に評価されています。また「清涼記」の著者と伝えられ、琴や琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させた天皇といえます。

習字は、「お詫びです」は控えめに、「鶯餅は」は強弱をつけて柔らかく、「お洒落かな」はお洒落なように、というつもりで書きました。最後の「洒落」は洒落にならない位、書きました。


f:id:tanyuu4792:20210402120251j:image