川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

長閑 128 一条天皇

朝、マインドフルネスの音楽を聴きながら、海沿いをロングランして来ました。土・日は軽いジョグなので、足が軽く快適に走れました。それから、土・日は久しぶりに本をたっぷり読みました。

「日本史1200人」の第128番の一条天皇(980〜1011)です。

66代天皇花山天皇が内裏を抜け出して出家したため、数え年7歳で即位した。これは孫の早期即位を狙った藤原兼家の陰謀と言われる。在位は25年に及んだ。一条天皇の時代は道隆・道長兄弟のもとで藤原氏の権勢が最盛に達し、皇后定子に仕える清少納言中宮彰子に仕える紫式部和泉式部らによって平安女流文学が花開いた。天皇自身、文芸に深い関心を示し「本朝文粋」などに詩文を残している。音楽にも堪能で、笛を能くしたという。また、人柄は温和で好学だったといい、多くの人に慕われた。大変な愛猫家であり、愛猫に「命婦おとど」と名付け五位の位階を与えていた事が「枕草子」、「小右記」に記述されている。

「長閑なり命婦おとど背伸びして 一条天皇 に感じて」

長閑が4月の季語です。命婦は女官の総称でおとどは敬称なので、愛猫はタマなんて感じではないですね・・・「愚管抄」に、天皇崩御後、道長・彰子は天皇の遺品の整理中に一通の手紙を発見し、その中には「三光明ならんと欲し、重雲を覆ひて大精暗し」と書かれていて、「道長一族の専横によって国は乱れている」という意味に解した道長はその文を焼き捨てたということです。

習字は、「長閑なり」は細く控えめに、「命婦おとど」は柔らかく強弱をつけて、「背伸びして」は猫が背伸びしたように、というつもりで書きました。


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