川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

万愚節 130 後朱雀天皇

 朝、隣町に行き二人でいつものコースを楽しく走り・おしゃべりして来ました。嫁さんと、今日の夕方は浜にお酒でも持って行って、ゆっくりしようかと話しています。

「日本史1200人」の第130番の後朱雀天皇(1009〜1045)です。

69代天皇一条天皇の皇子。母は藤原道長の娘の中宮彰子。兄・後一条が崩御したため、その後を受けて即位した。即以前は、道長の六女で叔母にあたる嬉子が入内して第一王子(後冷泉天皇)が生まれるが、嬉子は産後の肥立ちが悪く2日後に急逝した。その後道長の外孫で従姉妹の禎子が入内し第二王子(後三条天皇)始め一男二女を出産する。即位後は、関白頼通が養女嫄子を、弟教通が娘生子を、また頼宗が娘延子を相次いで入内させたが、いずれも皇子を出産することはなかった。

「万愚(バング)節忖度しても出来ぬぞヨ 後朱雀天皇 に感じて」

万愚節が4月の季語です。エイプリルフールのことですが、11月1日の諸々の聖人を祝う万聖節に対比しています。後朱雀天皇は跡継ぎを巡る狂乱を万愚節と思ったかな・・・この時期、荘園の増加によって国家財政が危機的状態にあり、1040年に荘園整理令に着手しますが、結局は頼通ら権門擁護策に終わります。肩の悪性腫瘍により譲位し、太上天皇となり、その2日後に出家し、同日崩御します。

習字は、「万愚節」は強弱を付けて、「忖度しても」は弱く、「出来ぬぞヨ」は困ったように、というつもりで書きました。


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