川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

風光る 132 清原夏野

 朝、雨なのでバイクを漕ぎました。シャワーを浴びて体重を測ったら57.2kgと先週より1.2kg増えていました。水を飲み、トイレは行かずに測ったのですが・・・簡単に1kgは変わっちゃうな。

「日本史1200人」の第132番の清原夏野(ナツノ782〜837)です。

貴族、政治家。小倉王の子。清原の姓を与えられ臣下となった。桓武天皇から仁明天皇まで仕え右大臣まで昇進した優秀な実務家。「令義解」を編纂し、日本法制史に大きな足跡を残した。政治・経済にも明るく、824年、国司に関して1・2度入京して天皇に施政を報告すること、常荒田の耕食を許すことを提言・採用される。826年、多数の親王家を維持する財源確保のため、諸親王を地方の国守に任じる制度を設立。832年、私財を投じて播磨国に魚住泊を建設。朝廷は重要性を認め助成を行う。

風光る国の形を透かし見る 清原夏野 に感じて」

風光るが4月の季語です。明るい太陽のもとで、全てが風とともに光っています。夏野の明晰な思考に掛けました。夏野は平安京右京の双岡に山荘を営みましたが、この山荘へは830年に淳和天皇が、834年には嵯峨上皇行幸して水木を鑑賞しています。

習字は、「風光る」はスッキリと、「国の形を」は大胆に大きく、「透かし見る」は控えめに、というつもりで書きました。「国の形を」を何枚か工夫したのですが、初めに戻ってしまいました。


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