川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

花吹雪 134 小野篁

朝、英会話を聞きながら、海沿いをロングランして来ました。ゆっくり走るどころか、歩くことがやっとでした。歳なのか、疲れているのか・・・午後は嫁さんと教育委員会に、本を返し・借りに行きました。すごく大きな本を借りたので、足とバイクで本を挟んで帰って来ました。チョッと危ない技でした。

 「日本史1200人」の第134番の小野篁(タカムラ802〜852)です。

公卿。学者、歌人小野妹子の子孫で漢詩和歌に秀でる。「令義解」の編集に参加。遣唐副使となるが、遣唐大使・藤原常嗣の第一船が損傷し、篁の乗る第二船を第一船としたことに対して、己の利得のために他人に損害を押し付けるようなことが罷り通るなら、部下を率いることなど到底できないと抗議し、さらに自身の病気や老母の世話が必要であることを理由に乗船を拒否した。後に、篁は遣唐使の事業を(ひいては朝廷を)風刺する漢詩を作り、このために隠岐に配流されるが、後に許されて参議となる。書においても当時天下無双で、草隷の巧みさは王羲之・王献之父子に匹敵するとされた。身長六尺二寸(約188cm)の巨漢でもあった。

「花吹雪一緒に行くかテヤンでぇ 小野篁 に感じて」

花吹雪が4月の季語です。潔さで日本人の心情を代弁する桜吹雪です。遣唐使船を拒否した時、隠岐に配流され時「テヤンでぇ」と叫んだかな・・・830年に父が没した際は、哀悼や謹慎生活が度を過ぎて、身体容貌が酷く衰えてしまうほどだったそうです。また、非常な母親孝行である一方、金銭には淡白で俸禄を友人に分け与えていたため、家は貧しかったといいます。危篤の際に子息らに対して、他人に知らせずにすぐに葬儀を行うように、と命じたともされています。

習字は、「花吹雪」はスッキリと、「一緒に行くか」は控えめに、「テヤンでぇ」は勢いよく、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20210413151135j:image