朝、ハーモニカを聴きながらロングジョグをして来ました。波が岩にぶつかりゴォーッと響く音が聞こえ、台風が向かっていることを感じさせました。
「日本史1200人」の第138番の文屋康秀です。
歌人。六歌仙・三十六歌仙のひとり。「古今和歌集」の序に、ことばの巧みな歌人と評されているが、昇進はできなかった。小野小町と親密だったといい、三河掾として同国に赴任する際に小野小町を誘ったという。それに対し小町は「わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ」(=こんなに落ちぶれたので、根なし草のように、誘いの水さえあれば、どこにでも流れてお供しようと思います)と歌を詠んで返事をしたという。後の説話集に、この歌をもとにした話が載せられるようになった。
「春の果て相合い傘と見得を切る 文屋康秀 に感じて」
春の果てが4月の季語です。康秀も小町も春の時はとっくに過ぎました。「せめて相合い傘で見得を切るかァ〜」と意気投合しました・・・康秀の次の歌は、まさに老いの侘しさを歌っています。
「春の日の光にあたる我なれど 頭の雪となるぞわびしき」
訳;晴がましい春の日の光にあたる私ですが、頭髪が雪を被ったように白くなっているのが遣りきれない気持です。
習字は、「春の果て」は控えめに、「相合傘と」は柔らかく、「見得を切る」は勢いよく、というつもりで書きました。