川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

永き日 142 紀貫之

 朝、マインドフルネスの音楽を聴きながら海沿いをロングランして来ました。歯茎の腫れが退くに従って走れるようになってきました。シャワーを浴びて体重を測ったら56.2kgと先週より0.5kg増えていました。つくづく体重計があったからダイエットできたと思いました。

「日本史1200人」の第142番の紀貫之(キノツラユキ?〜945)です。

歌人三十六歌仙のひとり。従兄弟の紀友則らと勅撰和歌集の規範となる「古今和歌集」を編纂し、日本最高の歌論といわれる「仮名序」を著す。また日本初の日記文学である「土佐日記」を記し、かな文の発達に貢献し、日本古典文学に大きな業績を残す。また「袋草紙」などでは、貫之の詠んだ歌の力によって幸運がもたらされたという「歌徳説話」も数多く伝わっている。

「永き日にニタリにやりとかな日記 紀貫之 に感じて」

永き日が4月の季語です。冬が過ぎて、おだやかな光を浴びると、日の長さを感じます。貫之は至る所で人物批評をしていますが、おだやかな春の長い日は、自在のかなでニヤニヤしながら日記を書いていたのでは、とイメージしました。貫之の邸宅の前庭には多くの桜樹があり、「桜町」と称されたといいます。その遺址は現在の京都御所富小路広場に当たります。

習字は、「永き日に」は自然に、「ニタリにやりと」は粘っこく、「かな日記」は女性のように、というつもりで書きました。どれを目立たせるか、白場をどう取るかで、何枚も書きました。疲れてチョッと妥協しました。


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