川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

衣替 148 慶滋保胤

昨夜は、ハイソックスを履いて寝たせいか、一度も足が攣りませんでした。歯茎の腫れも殆ど良くなりました。朝は、マインドフルネスの音楽を聴きながら海沿いをロングランして来ました。 

「日本史1200人」148 慶滋保胤(ヤスタネ?〜1002)

文人儒学者。陰陽暦法の家から出たが文学に専念する。姓の賀茂を読み替えて慶滋とした。若い頃より仏教に対する信仰心が厚く、息子の成人を見届けると、986年に出家して比叡山の横川に住した。また同年、念仏結社「二十五三昧会」の結成にも関わったとされる。法名は始め心覚と称し、その後寂心と改めている。諸国を遍歴した後、洛東如意寺(如意輪寺)で没した。著書「池亭記」は、当時の社会批評と文人貴族の風流を展開し、隠棲文学の祖ともいわれている。また、浄土信仰に傾倒して「日本往生極楽記」を著した。

「陰陽をサラリ坊主に衣替 慶滋保胤 に 端遊」

衣替が5月の季語です。冬・春に着ていた衣服を夏物に替えることですが、保胤の宗旨替えに掛けました。藤原道長に戒を授けたこともあり、保胤が没した際には、道長がその供養のために、大江匡衡に諷誦文(声を上げて読む文)を作らせたとされています。

習字は、「陰陽を」は縦横の比を変えて、「サラリ坊主に」は大胆に斜めに、「衣替」は控えめに、というつもりで書きました。


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