川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

幟 151 文室綿麻呂

 昨日は久しぶりにタップリお酒を頂きました。楽しい四人で飲みましたが、嫁さんに光栄だけど重荷になりそうな話題があり、朝、できれば遠慮したい旨を伝えて来ました。

「日本史1200人」151 文室綿麻呂(フンヤノワタマロ765〜823)

征夷将軍、公卿。810年に発生した薬子の変では平城上皇と共に平城宮にいたが、平安京に召還され拘禁されてしまう。しかし、大納言となっていた田村麻呂が、東国へ向かった平城上皇を迎え撃つために美濃道に向かう際に、武術に優れ辺境での戦闘の経験が豊富であることを理由に綿麻呂を同行させたい旨を上奏する。結局上奏は認められ、綿麻呂は歓喜勇躍し乗馬して出撃したという。薬子の変後、征夷将軍となり蝦夷征討の任に当たる。徳丹城を築き平定を完了した。

「幟立て感謝勇躍イザ蝦夷 文室綿麻呂 に 端遊」

幟が5月の季語です。丈の長い昇り旗で、戦陣・祭典などに立てます。田村麻呂に大感謝して、蝦夷征討に向かう綿麻呂の顔が浮かびます。綿麻呂が東北地方に駐在して蝦夷征討の責任者を務め、活発に活動した様子が「日本後紀」に記載されています。なお、辺境の防衛体制を解除させた功労により、従三位に叙せられ、勲五等の叙勲を受けています。

習字は、「幟立て」はスッキリと、「感謝勇躍」は強弱を付けて、「イザ蝦夷」は強く、というつもりで書きました。何しろお酒が残っていて、イマイチ力が入りませんでした。


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