川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

鯉幟 152 伴健岑(トモノコワミネ)

 朝、海沿いをロングランして来ました。初めは酒疲れのせいかヨタヨタでした。多分歳をとったら、こんな風になるのかな・・・と思いながら走りました。後半はなんとか格好がつきました。

「日本史1200人」152 伴健岑(トモノコワミネ)

大伴氏の一族。842年、天皇家の家父長的存在であった嵯峨上皇が危篤に陥ったことで、健岑は皇太子・恒貞親王の立場に不安を持ち、阿保親王に対して、嵯峨上皇の死期が近づいて国家が乱れようとしており、恒貞親王を守って東国へ向かってほしい旨を語る。しかし、阿保親王はこれに同調せずに、子細を記した封書を作成して密かに太皇太后に上呈し、藤原良房を経由して仁明天皇に上奏されてしまう。嵯峨上皇崩御すると、封書の内容が謀反として露わにされて、健岑は橘逸勢と共に首謀者として捕らえられる。笞杖で打たれる拷問を受けるが、両者共に罪を認めなかった。しかし、仁明天皇より両者が謀反人であるとの詔勅が出され、恒貞親王は皇太子を廃され、健岑は隠岐国へ、逸勢は伊豆国への流罪に処された(承和の変)。

「鯉幟浮世の風か竿を巻き 伴健岑 に 端遊」

鯉幟が5月の季語です。承和の変藤原良房の陰謀の可能性が強いとのことで、健岑を竿に力なく絡みついてしまった鯉幟に見立てました。865年、配流先の隠岐国司から、恩赦によって放免された健岑を平安京に戻す旨の報告がなされますが、誤りであったらしく、改めて勅により出雲国へ遷配されています。

習字は、「鯉幟」は弱々しく、「浮世の風か」はひねくれて悲しく、「竿を巻き」は控えめに、というつもりで書きました。


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