川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

火蛾(ホガ) 153 伴善男

朝、海沿いをロングランして来ました。折返し地点で、二人の友の病気が進行しないように祈ってきました。

 「日本史1200人」153 伴善男(トモノヨシオ811〜868)

公卿。866年、応天門が放火される事件が起こると、善男は政敵の左大臣源信(ミナモトノマコト)が犯人であると告発する。源信の邸が近衛兵に包囲される騒ぎになるが、太政大臣藤原良房清和天皇への奏上により源信は無実となる。やがて応天門の放火は善男とその子・中庸らの陰謀とする密告があり、拷問を受けるも否認のまま犯人として断罪、死罪とされた。しかし善男が仁明天皇のために毎年法要を行っていたことに免じて罪一等を許されて流罪と決した。善男は伊豆国、中庸が隠岐国に流されたほか、伴氏・紀氏らの多くが流罪に処せられた(応天門の変)。

「闇の手か応天門に火蛾(ホガ)狂う 伴善男 に 端遊」

火蛾(ホガ)が5月の季語です。蛾は夜間に灯火の周辺を飛び回るので火蛾とも言います。闇の手は善男の手だと思うのですが、権力の世界は分かりません・・・善男は、弁舌が達者で、明察果断、政務に通じていましたが、寛裕高雅さがなく、性忍酷であり傲岸で人と打ち解けなかったそうです。風貌は、眼窩深くくぼみ、もみあげ長く、体躯は矮小であったそうで、何だか悪者に仕立てられている気もします。

習字は、「闇の手か」はスッキリと、「応天門に」は力強く、「火蛾狂う」は強弱を付けて、というつもりで書きました。


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