川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

余花 158 平忠常

昨日の夜は、ケーキとキンピラしか食べなかったので、今日の朝はゆっくり海沿いをジョグして来ました。

「日本史1200人」158 平忠常(?〜1031)

武将。平高望の曾孫。東国・上総で勢力を振るった。京に上り藤原教通に仕えていた形跡がある。忠常は強大な武力を背景に傍若無人に振る舞い、国司の命に従わず租税も納めなかったとされる。1028年、忠常は安房国国府を襲い安房守を焼き殺す事件を起こした。朝廷は忠常追討を命じたが、官軍を相手に頑強に抵抗した。1030年、源頼信が追討使に任じられると、1031年春に忠常は出家して頼信のもとへ出頭して降伏した。あっけなく降伏したのは、忠常が頼信の家人であったためともいわれている。

「余花(ヨカ)散って暴れん坊も丸坊主 平忠常 に 端遊」

余花が5月の季語です。葉が出てからもまだ咲き残っている桜の花です。頑強に抵抗しポックリ散った忠常に掛けました。京へ連行される途上の美濃国野上で病没しました。子の常将と常近は罪を許され、忠常の子孫は房総半島の有力武士として残り、後に鎌倉幕府御家人となる上総氏、千葉氏が出ました。

習字は、「余花散って」はスッキリと、「暴れん坊も」は大きく強く、「丸坊主」は弱く、というつもりで書きました。


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