川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

昼顔 13 ラメス2世

 一昨日、草取りをして、しぶとい根を抜く時に、腰を傷めました。湿布をして、体操をして、ペタンコの布団に寝て・・・といろいろした結果、今日の朝までにほぼ良くなり、海沿いをロングジョグして来ました。

「世界史1200人」13 ラメス2世(前1303〜前1213)

古代エジプト第19王朝のファラオで紀元前1279〜前1213年に在位した。ラムセス2世とも呼ばれる。小アジアからシリアに進出したヒッタイトが、さらに南下してきたため、父セティ1世の政策を継ぎパレスティナに遠征した。しかし前1286年、カデシュ(現シリア)の戦いで敗れ、アジアからの撤退を余儀なくされた。ラメス2世はヒッタイトの王女を娶り、ヒッタイトとの相互援助を約束した。このときの講和条約は世界最古(前1269年)の国際条約といわれている。現在のレバノンベイルート近郊で、ラメス2世の遠征を記録した碑文が見つかっている。

「昼顔や国の契ぞ嫁貰い ラメス2世 に 端遊」

昼顔が6月の季語です。ピンクの花を日中でも咲かせます。花言葉の「絆・友達のよしみ」を国際条約に掛けました。ラメス2世はテーベに「ラメス神殿」、近郊のカルナックに「百柱殿」、ナイル川上流のヌビア地方に「アブ・シンベル神殿」と、数々の巨大建築物を建て、ファラオの権威を示しました。王は100人の子女を残し、その後10人以上がラメスを名乗っています。

習字は、「昼顔や」は控えめに、「国の契ぞ」は強く、「嫁貰い」は柔らかく強弱を付けて、というつもりで書きました。


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