川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

天の川 57 エラトステネス

朝、一人で海沿いをロングランして来ました。シャワーを浴びてから体重を測ったら52.6kgと先週より0.1kg減っていました。嫁さんは明日まで町長選挙・婦人部長でお出かけです。

「世界史1200人」57 エラトステネス(前276〜前194)

北アフリカギリシア植民都市の出身で、アレクサンドリアのムセイオン(図書館)の館長となる。「地理学」を著し高精度で地球の全周を計算した。古代ギリシアにおいては、紀元前4世紀ごろより大地が球形をしており、宇宙が幾重もの球殻に取り囲まれているという説が唱えられるようになっていた。この宇宙観では水、大気、火、天体が順に同心の球殻をなしていると見なされ、地球は天体の球殻(天球)に比べ点と見なされるほど小さいものと考えられた。このため、太陽からの光は場所によらずほぼ平行線として降り注ぐものとされた。エラトステネスはシエネでは夏至の日に陽光が井戸の底まで届くこと、つまり南中高度が 90°となる(北回帰線上に位置する)ことを知り、このことにより地球の大きさを計算できることに気付いた。アレクサンドリア夏至の太陽南中時に鉛直に立てた棒とその影が作る角度が、シエネとアレクサンドリアの緯度の差に基づくものとみなし、シエネとアレクサンドリアとの距離が地球大円の1/50 に相当することを確かめた。これは7.2°に相当する。シエネとアレクサンドリアの距離を当時の単位で 5000 スタディアと見積り、ここから比率計算で地球の全周長は 50 × 5000、すなわち 250,000 スタディアと求めた。5000 スタディアの根拠は不明であるが、エジプトでは専門の歩行者を使って毎年繰り返し距離の測定を行っていたことを記述している。

「天の川丸い地球を見晴るかす エラトステネス に 端遊」

天の川が8月の季語です。エラトステネスが天の川を見て、心に丸い地球を思い浮かべたという句にしました。エラトステネスは少なくとも72歳まで図書館長の地位にあり、82歳で没しました。食を絶ち自殺したといわれています。卓越した科学者の一人であるアルキメデスの親しい友人であり、著書「方法」はエラトステネスに宛てて書かれています。

習字は、「天の川」は控えめに、「丸い地球を」はゆったりと、「見晴るかす」はデザイン的に、というつもりで書きました。


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