川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

走馬灯 61 ドラコン

朝、海沿いをロングランして来ました。で、今日、PCR検査を受けることになりました。 僕は15時42分から、嫁さんは15時45分からです。濃厚接触者の可能性あり、とのことで、いよいよ僕達も流行に乗ったという感じです。

「世界史1200人」61 ドラコン(前620頃)

アテネの立法者。前621年頃、従来の慣習法を整理し、ギリシア初の成文法「ドラコンの法」をまとめた。貴族の恣意的な裁判を規制し、平民の不満を和らげる面があった。しかし、彼の憲法は厳しい物であった、例えば借金が返済不能となると債務奴隷へと転落し、また量刑も金銭の貸し借りの経歴によって異なるという物であった。また、殺人と過失致死傷罪の区別が為されており、死刑も執行数は漸減したものの存在した。ドラコンは何故ほとんどの犯罪で死刑が科されているのかと問われた時「軽微な犯罪でも死刑に値すると考えられ、より重大な犯罪についてはそれ以上重い刑罰はないからだ」と答えたとされている。

「えっ死刑!重い軽いが走馬灯 ドラコン に 端遊」

走馬灯が8月の季語です。影が走り去る回り灯籠です。罪が重いだの軽いだのと思っていた日は走馬灯のようだな・・・と死刑囚は感じたかも・・・ドラコンの法律はアテネにおける最初の憲法で、誰もがその存在を知っており、内容は木板に刻まれて、その後に三角錐型の石碑に刻まれ、2世紀程にわたって守り続けられました。彼の憲法は、特権階級の独断で変え得る不文法に代わり、会議に出席出来る全ての市民に判る物となりました。この憲法はソロンによる改革まで存続しました。

習字は、「えっ死刑!」はビックリしたように、「重い軽いが」は弱々しく強弱を付けて、「走馬灯」は流れるように、というつもりで書きました。


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