川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

摂待 63 ペイシストラトス

 PCR検査の結果が土曜日の3時頃に来て、嫁さんと二人とも陰性でホッとしました。でも、島では金・土と各10人、日は5人と陽性の方が出たようで、人口1600人に対しては爆発的です。でも、家に閉じこもってばかりは居られないので、昨日の夕方は嫁さんと海沿いをウォーキングし、今日の朝は一人で海沿いをロングランして来ました。

「世界史1200人」63 ペイシストラトス(前600〜前527)

アテネの僭主。ソロンの改革後、ペイシストラトスは、商人一派(海岸党)と、地主の一派(平野党)に対して、農夫などの無産者階級を主体とする「高地党」を結成した。自らを傷つけて、これを政敵による損害と騙り、国民に護衛部隊を要求し、これを使ってアクロポリスを占領して政権を奪った。商人や農民らの支持を背景に、農業の奨励、平民の援助を政策の柱とした。またマケドニアから多くの鉱夫を連れてきて、アテナイの技術力では採掘が困難であった銀山の採掘を行った。そしてアテネの財政力を高め、文化事業や貿易にも力を注ぎ国力を上げて、理想の政治ともいわれた。この独裁政権は、息子に継承されたが、スパルタ王と手を結んだアルクメオン家の人々によって追放された。

「僭主ですお摂待です人気取り ペイシストラトス に 端遊」

摂待が8月の季語です。本来は供養のために門前に湯茶を用意して往来の人に振る舞うことですが、句では単にもてなす意味にしました。ペイシストラトスの友ソロンは長く亡命し、独裁政治を許したアテナイ市民を非難しましたが、ペイシストラトスは書状を送ってソロンの帰国を促しました。なお、僭主とは非合法手段によって政権を獲得した独裁者です。

習字は、「僭主です」はスッキリと、「お摂待です」はおもねるように、「人気取り」はとぼけたように、というつもりで書きました。


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