川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

佞武多 65 テミストクレス

 朝、海沿いをロングランして来ました。昨日はコロナ感染者がいなかったようです。このまま落ち着けばと思います。

「世界史1200人」65 テミストクレス(前528〜前462)

アテネの政治家。マラトンの戦い以降、皆が戦いの勝利を喜ぶ中、ただ一人執政官のテミストクレスは大規模なペルシア軍の再来を予見し、鉱山の銀を使って三段櫂船100隻の建造を決議した。この銀収入は、本来市民に分配されるものであったが、アイギナとの紛争に用いる船を建造すると騙って市民を説得した。予想は的中し、ペルシアの大軍が来寇した。その際、アテナイにおいて将軍の選挙が行われたが、民衆煽動家のエピキュデスが選出されそうになったため、テミストクレスは金銭で彼を買収し辞退させた。ペルシアとの戦いでは将軍となり、アルテミシオンの海戦では一進一退の攻防を行い、サラミスの海戦においてペルシア海軍を撃破した。しかし、ペルシア戦争での功労を頼って、必要以上に名誉と権力を欲したことから信用を失い、陶片追放によってアテナイを追われた。

「ペルシアよ三段櫂と佞武多(ネブタ)だぞ テミストクレス に 端遊」

佞武多(ネブタ)が8月の季語です。青森県のねぶたの漢字書きです。三段櫂船に青森市の武者ねぶたを載せてペルシア軍を脅したとイメージしました。テミストクレスサラミスの海戦直後に密かに使者を送り、ペルシア艦隊への手加減と王への好意をほのめかし恩を売りました。このこともあり最終的には旧敵ペルシアに亡命します。その後、王からアテナイ遠征のための艦隊を率いるよう命じられましたが、祖国に弓を引くのを良しとせず毒を飲んで自殺しました。

習字は、「ペルシアよ」はスッキリと、「三段櫂と」は曲線的に、「佞武多だぞ」は直線的に、というつもりで書きました。


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