川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

終戦日 68 スキピオ

 朝、雨模様なのでバイクを漕ぎました。それから家の前の草取りをしました。最西端の灯台が座ったまま、丸見えです。

「世界史1200人」68 スキピオ(前235〜前183)

古代ローマの将軍、政治家。ハンニバルカンネーの戦いで敗れたが、ヒスパニアに入って本拠地のカルタゴを攻略した。さらにアフリカに上陸して、急ぎ引き返して来たハンニバルをザマの戦いで返り討ちにした。戦後、スキピオは寛容な方針で臨み、カルタゴの包囲殲滅攻撃に取り掛かることもなく、ハンニバルも裁かれることなく休戦が成立した。この戦後処理は、幼少時代に故国をハンニバルに蹂躙され、縁者が次々と殺されていく中で育った多くの若いローマ人たちの反感を買うことになる。開放的な思考の持ち主であったスキピオは、ハンニバルこそ戦後のカルタゴ復興を担う人材であり、彼を許すことはカルタゴの、そしてローマ自身の戦後処理に大いに役に立つと考えていた。いずれにしてもローマが、多額の賠償金と、西部地中海の覇権を手に入れた功績でスキピオは「アフリカヌス」の尊称を得た。

終戦日遠きを見つめ手を握る スキピオ に 端遊」

終戦日が8月の季語です。本来は8月15日ですが、句ではハンニバルに勝った日としました。そしてライバルとの握手をイメージしました。晩年のスキピオはカンパニア地方で過ごすようになり、2度とローマには戻りませんでした。そして死に臨んだスキピオは先祖代々の墓に入ることを拒否し、自らの墓石に「恩知らずの我が祖国よ、お前は我が骨を持つことはないだろう」と刻ませたと言われています。

習字は「終戦日は」はスッキリと、「遠きを見つめ」は素朴に、「手を握る」は強く、というつもりで書きました。


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