川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

虫 88 ネロ

 今日は少し遅く起きました。海沿いを走る頃には陽が高くなっていましたが、風が涼しくて助かりました。今年の夏は涼しくて、夜に寝る時には、クーラーも扇風機も使わずに済みました。

「世界史1200人」88 ネロ(37〜68)

16歳で即位し善政を行うが、やがて放蕩に走る。55年の皇帝候補・ブリタンニクスの殺害に始まり、母・アグリッピナ、妻・オクタウィア、恩師・セネカ元老院議員を殺害し、加えて64年に発生したローマ大火の犯人としてキリスト教徒を大迫害したことから、後世からは暴君として知られるようになる。しかし、ローマの大火後にネロが陣頭指揮した被災者の救済やそのための迅速な政策実行、ローマ市の再建は市民に受けがよかった。当時のローマ市内は木造建築がメインだったが、大火以降にネロが建築した黄金宮殿は、ローマン・コンクリートの普及に一役買っている。ただし、この大火もネロ自身が裏で暗躍し、自分好みの街を作りたかったという望みから起こされたとも言われている。ネロには四頭立て戦車の騎手や竪琴の歌手という、当時の社会では蔑まれていた芸人になりたいという願望があった。歌が好きで、数千人に及ぶ観衆を集めコンサート(ワンマンショー)を開くのが趣味であった。その後、属州の反乱が起こり、ローマ市民からも反感を持たれ、元老院から「国家の敵」とされ自殺する。

「火遊びやワンマンショーの虫騒ぐ ネロ に 端遊」

虫が9月の季語です。ダジャレに使いました。初代ローマ教皇・ペテロは、ネロ帝による迫害で殉教しました。ペテロは、迫害の激化したローマから逃れ、アッピア街道をゆくと、師のイエスが反対側から歩いてきます。ペテロが「主よ、どこへいかれるのですか?」と問うと、イエスは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えました。ペテロはそれを聞いて悟り、殉教を覚悟してローマへ戻ったといいます。

習字は、「火遊びや」は幼く、「ワンマンショーの」はチョッと威張って、「虫騒ぐ」はネチネチと、というつもりで書きました。


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