川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

紫苑 91 ハドリアヌス

 朝、一人で海沿いをロングランして来ました。50代の頃は走るほど体力が向上する感じでしたが、今は走って体力を維持するのが精一杯かな・・・などと思いながら走りました。

「世界史1200人」91 ハドリアヌス(76〜138)

3人目の五賢帝。114年から開始されたパルティア戦争でトラヤヌスの補佐役として優れた手腕を発揮した。崩御の床でトラヤヌスハドリアヌスを養子に勅定した。皇帝就任後、ハドリアヌスは帝国各地をあまねく視察して帝国の現状把握に努める一方、トラヤヌス帝による帝国拡大路線を放棄し、現実的判断に基づく国境安定化路線へと転換した。ハドリアヌスは帝国の統一のためには平和が欠かせないと認識しており、軍事的脅威を受けている地方では防壁を構築したが、なかでも、カレドニア人との紛争が続いていたブリタンニア北部の「ハドリアヌスの長城」が有名である。私生活では、美青年の愛人アンティノウスを寵愛し、この美青年がナイル川で事故死を遂げたあとは、彼を神格化して神殿を建設し、都市アンティノオポリスを創建したほか、帝国中にアンティノウス像を建てさせ、天空にアンティノウス座を作ったことが知られている。

「神として万物に刻む紫苑咲く ハドリアヌス に 端遊」 

紫苑(シオン)が9月の季語です。花言葉「追憶、君を忘れない」にアンティノウスへの想いを掛けました。ハドリアヌスは130年に、エルサレム市をローマ風の都市に建設し、植民市として自らの氏族名に変え、さらに132年には割礼を禁止しました。そのため、ユダヤ人の大規模かつ組織的な反乱が発生しました(バル・コクバの乱)。ハドリアヌスは3年以上を要して反乱を鎮圧し、これを機に、ユダヤ地方は「属州シリア・パレスティナ」と名称が変更され、この地からユダヤの名が消えました。ユダヤ人は離散(ディアスポラ)を余儀なくされ、以後、エルサレム市内への立ち入りも制限されました。

習字は、「神として」は美青年らしく、「万物に刻む」は曲線と直線で、「紫苑咲く」はスッキリと、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20210923091201j:image